ゆかたんブログ

IT戦士ゆかたんこと岡田有花のブログです。フリー記者ですが、ブログには記事未満のいろんなことを書きます。

なんでネットにアップしないんですか?

私は普段からプライベートはそれほどツイートしたりFacebookに書かないほうで(書かなくはないのですが、ネット業界人としては少ないほうかな?と思う)、その理由をたずねられたら「その場でその体験を大切にしたいから」などと、偉そうに言ったりするのですが。

 

ネットを使いこなしはじめたのと、ネット記者として仕事を始めた時期がかぶっているせいか、私にとって、ネットに何かを書くときは、見た人がたのしめるよう/読んだ人が分かるよう表現することを意識しがちで。

 

そうすると、体験したことを文書や写真にしてネットにアップしようとした瞬間、おもしく読める文章を考えてしまったり、ネットで映える撮り方を考えてしまったりするのですね。

 

それを考えはじめた瞬間から、その体験が不純なものになるというか、その体験そのものを離れて「見せ方」を考えてしまう。するとその体験が、薄まってしまうというか、流れ出してしまう。その場に集中して全力で楽しむことができなくなってしまう気がして。楽しいはずの体験が、仕事みたいになっちゃう。

 

ネットにアップする、シェアすることは、自分の中の、自分だけの体験が流れ出して薄まってしまうことな気がします。流れ出た液体がほかの人の液体と化学反応してまったく新しいものができたりするので、それはそれで面白いんだけど、体験をなめ尽くしたいものほど、アップしたくない気持ちもある。

 

おいしそうなごはんは、写真撮らずにあったかいうちに食べたい。「孤独のグルメ」で井の頭五郎がごはんを食べるとき、食べる前にiPhoneで撮ってTwitterにアップしたりは、絶対しないだろうという感じで(伝わるのかこの表現は)。

 

でもこれってたぶん、いかにもデジタルネイティブじゃないおばさんの考え方かもなー、とも思います。

こんにちは、老害です

きのう一緒に飲んでたむかしの同僚が、「最近、ネット業界で自分のこと老害だと思うことが多い」という話をしていて深く頷きました。

 

最近は「あのころはよかった」という話をしがちで。20代のころは、目の前にあるものが面白くて未来にあふれてキラキラ映っていたんですが、今はなんだか、文句が先に立っちゃう。ダサい!

以前話題になったこのつぶやきも、なんだかわかる気がするのですね。

Twitter / jkondo: 老害を叩いてイノベーションを支持していくのがはてな民の矜恃か ...

 

自分自身、業界キャリアは10年ほどですが、ネット業界では古参の部類に入るのかもしれなくて、すごいスピードで「既得権益層」に入り、老害化しているなぁと思うのです。

 

でもまぁ、老害老害と自虐していると正当な批評もできなくなるので、よい塩梅を見つけたいとは思ってるんですが。

ニュースまとめアプリがたくさん出ているね

考えるきかっけはこちらのPost。

 

古川 健介 - newsHUBのやり口がタダ乗りじゃないか!的なポストをしたら、開発者の方から、すべて許可を取った上で... | Facebook

 

スマートニュースとかLINEニュースとか、Y!ニュースのアプリもですが、自らニュースを作らない、まとめ系ニュースアプリがたくさん出てますね。

コンテンツの作り手とwinwinになるビジネスモデルならば、こういうアプリはとってもいいねと思います。記事のリーチの範囲が拡大するし。

 

WebがPC中心だった時代(ほんの2年ぐらい前までですが)、「サイトの集客力が落ちてくるとニュースコンテンツを始める」という例が非常によくありまして。それだけ「ニュース」的なものには集客力があると期待されているんだろうし、いまのアプリリリースラッシュはそれに似ているなーとも思います。

 

いまはニュースまとめ系アプリが出過ぎなんで、すでに過当競争でしょう。コンテンツを自ら作ってないアプリばっかりなので、差別化もしづらい。となると、この勝負は1強に集約する・・・のかな?

 

勢力図がどうなるにしろ、読まれるニュース(テキスト)を供給できることの価値は変わらないというか、上がってってるなーと思います。

 

なのでわたしはたんたんと記事を書いて頑張ろうという。業界分析に見せかけた自分語りでした。

 

「ネットがつまらなくなった」とはどういうことかしら

「ネットがつまらなくなったよね」的な話を同世代(30代前後)とすることが多いここ1年ぐらいですが、私にとっての「つまらなくなった」がなんなのかを考えてました。で、いったんの結論は、「ネットで意味不明で予測不能でわけのわからないことが起きなくなった」ってことでした。

 

mixiとかTwitterとかほんと意味不明だったじゃないですか。ブログもだけど。なんでネットに日記かくの?なんで日常を公表するの?なんで世界中の人と@ひとつでつながるの?それ意味あんの?どう考えても意味ないよね?絶対もうからないよね。でもなんか面白くて、みんなやりまくってるよね。なんか世界変わりそうな気がするよね。ってかこっち側に世界かわっちゃったら意味不明でおもしろくね?ありえなくね?みたいなのが「おもしろかった」ネットなきがしてて。

 

いまのネットはすごい便利で、実用的なサービスがいっぱいでてきてて、社会的意義があってもうかりそうなサービスを立ち上げるベンチャーがたくさんいて、そういう意味ではわくわくするんだけど、意味不明でわけがわからなくて何の役にも立ちそうにないし儲かりそうな気もしないけど、みんなが熱狂して使いまくって、何か既存の価値をぐるりと転換しちゃいそうな・・・そういうものが出てくる雰囲気があるかというと、それは感じなくなっているというか。

 

地に足が付いたってことかもしれませんね。

 

バズりたくない

文フリか何かで、「最近なにやってるんですか?え?記事書いてるんですかー?バズる記事書いてないじゃないですか?」と言ってきた自称「IT戦士のファン」。ほかにもいろいろ失礼なこと言いながら、写真まで撮って帰って行ったよ。断れば良かった。

この腹立たしい思い出がきっかけで「バズる」について考え始め、なんかバズる=かっこいい/面白い時代って2年ぐらい前に終わったんじゃないの、と思った。最近のコンビニ冷凍庫事件とかまさにその象徴で。

というコラムを書こうかなと思って記事のタイトル(「バズる=かっこいい時代の終わり」)Yahoo!ニュース個人に入力して結局かけないまま2カ月ぐらいたちました。なんかもう鮮度が微妙なのできっと完成させることはないんだけど、なんかちょっともったいないのでここに記録しておく。

自宅警備生活でまなんだこと

・15時ぐらいに鳴るインターフォンは99%何かの勧誘

・インターフォンに向かって「お忙しいところすみません」等ながなが挨拶する場合は99%何かの勧誘

・「近隣で工事やるので挨拶を」と言ってくる場合も90%何か(だいたいISP)の勧誘

もう「ITは、いま」という時代ではないのだなぁと

こんにちは。こんにち輪。こんにち倭。

倭。漢委奴国王。金印。

ブログ書き慣れてないのでなんか、何かいていいか血迷いますね。

先日ITmediaに、ヨーヨー世界チャンプのBLACKさんの記事を書かせていただきました。BLACKさんとは前職のnanapi時代に面識があったんですが、長くお話しするのは初めて。お忙しい中濃密なお話を伺うことができ、正直失礼だろと思うような質問にも誠実に答えていただけて、濃密なインタビューをさせていただくことができました。

 

この動画は何度見てもドキドキします。


BLACK: My journey to yo-yo mastery - YouTube

 

10年近く前、自分がまだ新人記者だったころに、人物インタビューシリーズ「ITは、いま」という連載が、ITmediaでスタートしました。ITがその人の人生をどう変えたのか、替えなかったのかを追う……という内容で、GREEの田中社長(当時は楽天社員)や百式の田口さんmixiのふぁるさん、paperboy&co.(当時) 家入さんなどのインタビューは、このシリーズに含まれています。世代でいうと、いま30代後半~40代のみなさんが多いです。Web業界の人にとって、人生を変えたITツールやWebサービスが明確にあって、それについて語ることができた時代、だったようなきがします。

 

そして今回、BLACKさんのインタビューで感じたのは、「ITは、いま」の時代は終わったのかもしれないなぁということです。BLACKさんはたぶん30歳ぐらいで、ナナロクのひとつ下世代にあたると思うのですが、その話の中に出てくるITは、ごく当たり前で自然でした。高校生のころ、父親のビデオカメラを借りてヨーヨープレイヤーの演技を撮影していたり、大人からヨーヨー動画入りPCを借りたり、YouTubeで世界的ジャグラーの演技を見て学んだり、ネットでキャリアサポートサービスを見つけたり。

 

ビデオカメラそのものやYouTubeそのもの、ネットのサービスそのものに興奮するんじゃなくて、それが人生を少し彩ったり、可能性を少し広げたりしている。ごく自然な、普通のITというか、劇的ではないけども、当たり前に人生の隣にあって、人生を少し便利にしている。というか。

 

たった1人の例だけをあげて世代論みたいに語るのは乱暴だと思うので、「絶対こうなんだ!」とか「時代はかわったんだ!」とか「デジタルネイティブ!!!」とか言いたいわけでもないのですが、なんか、記事の構成をしながら、そういうことを考えていました。この10年でデジタル機器やネットがとても普通のものになっていて、自分の記事の書き方も、変えていかないとなぁと。

 

漢委奴国王。卑弥呼。