ゆかたんブログ

IT戦士ゆかたんこと岡田有花のブログです。フリー記者ですが、ブログには記事未満のいろんなことを書きます。

この世は生きるに値するんだ

 宮崎駿監督の引退会見に伺い、全文書き起こし記事を書きました。

 

「この世は生きるに値するんだ」 「風立ちぬ」の後をどう生きるか 宮崎駿監督、引退会見全文 (1/9) - ITmedia ニュース

 

出しにもなっていますが、「この世は生きるに値するんだ」ということばが、頭にこびりついています。

基本的に子どもたちに、この世は生きるに値するんだということを伝えるのが自分たちの仕事の根幹になければいけないというふうに思ってきました。それは今も変わっていません。(3Pめ

「この世は生きるに値するんだ」ということを実感してそれを伝えることはすごくむずかしい時代になっていると思います。いまの子どもにキラキラした未来を残していてあげられるのか。考えて逃げたくなるような時代であると思います。

 

でもふと考え直し、昭和16年にうまれた宮崎駿さんが生きてきた時代は、さて、未来がずっとキラキラ希望にあふれていたかというと、そんなことはない。宮崎さんの言葉をかりると「たいへんな」時代でした。

特に「風立ちぬ」をやっている間じゅうよみがえってきたのは、モノクロ時代の日本の映画です。昭和30年以前の作品ですよね。暗い電気の下で生きるのにたいへんな思いをしている若者やいろいろな男女が出てくるような映画ばっかり見ていたんで、そういう記憶がよみがえるんです。(8Pめ) 

 

経済的に豊かだったバブルの時代も、「頭にきていた」。宮崎監督が生きてきたなかで、よい時代とか、楽に生きられる時代など、まったくなかったのかもしれません。

 

ジブリを作ったときの日本のことを思い出すとですね、浮かれ騒いでる時代だったと思いますよ。経済大国になって日本はすごいんっていうふうにね、ジャパンイズナンバーワンとかね、そういうことを言われていた時代だと思うんです。

 

 それについて僕はかなり頭にきていました。頭にきてないとナウシカなんか作りません。(6Pめ

 

それでも「この世は生きるに値するんだ」と伝えたい、そう信じられる理由はどこにあるのか。それは論理ではなく、「僕が考案したもの」ですらなく、「繰り返し繰り返し、言い伝えられてきたことを受け取っただけ」だと宮崎さんはおっしゃいます。

言い伝えてきた方々も「本当かな」と思いながら、それでも言い伝えていくんだと。

 

僕は、自分の好きなイギリスの児童文学作家で、もう亡くなりましたけど、ロバート・ウェストールという男がいまして、その人が書いたいくつかの作品の中に、本当に自分の考えなければいけないことが充満しているというか、満ちているんです。この世はひどいものである。その中で、こういうせりふがあるんですね。「君はこの世に生きていくには気立てが良すぎる」。そういうふうに言うせりふがありまして、それは少しもほめことばではないんですよ。そんな形では生きていけないぞお前は、というふうにね、言っている言葉なんですけど。それは本当に胸打たれました。

 つまり、僕が発信しているんじゃなくて、僕はいっぱい、いろんなものを受け取っているんだと思います。多くの書物というほどでなくても、読み物とか、昔見た映画とか、そういうものから受け取っているので、僕が考案したものではない。繰り返し繰り返し、この世は生きるに値するんだってふうに言い伝え、「本当かな」と思いつつ死んでいったんじゃないかってふうにね、それを僕も受け継いでいるんだってふうに思っています。 (8Pめ

 

これが「風立ちぬ」のポスターに書かれている「生きねば」につながるんだな、と思うとそんなことはなくて。

 

 せりふとして「生きねば」とかいうことがあったから、多分これは鈴木さんがナウシカの最後の言葉をどこかから引っ張り出してきて、ポスターに僕が書いた「風立ちぬ」の字より大きく「生きねば」って書いて、「これは鈴木さんが番張ってるな」と僕は思ったんですけど(笑)、そういうことになって、僕が生きねばと叫んでいるように思われていますけど、僕は叫んでおりません(笑)。(8Pめ

 

答えがないこと、答えがないと分かっていることをひたすら掘り続け、迷いつづけ、悩んで苦しんで「ややこしく」生きながら、それでもこどもたちには「この世は生きるに値する」と伝えなくてはならない、それを伝承しなくてはならないと、わけがわからないと思いながら、強い風に吹き付けられながらも、大人としてしっかりと立とうとしているんだなと、そんなふうに思いました。

 

ノルシュテインは友人だ、ピクサージョン・ラセターは友人です。イギリスのアードマン(Aardman Animations)にいる連中も友人です。みんなややこしいところで苦闘しながらいろいろやっているという意味で友人です。競争相手ではないと僕はいつも思っているんですけど。(6Pめ) 

 

今に絶望するのは簡単だけれども、それでも「この世は生きるに値する」と伝えられるように、「ややこしいところで苦闘しながらいろいろやって」生きていかないとな、と、思いました。